●今月の21日(月)と22日(火)、NHK教育「ハートをつなごう」が
レズビアンマザーを取り上げました!
2010.2.25
登場するのは還暦前後の英子さんと恵子さんカップル。
5人の子供を育て、今は2人のお孫さんもいるおふたりが、
いまなお家制度の色濃く残る北陸の小さな町で
暮らす日常が紹介されます。
放送直前に、おふたりの熱いお気持ちを聞いてきました。
●今日はよろしくお願いします!
まずおふたりが今回テレビに出ることになったきっかけを教えてください。
はい、よろしくお願いします。
2008年春に、『ハートをつなごう』の「ゲイ・レズビアン編」が始まる前に募集したメッセージを2人で
送ったのですが、恵子の書いたものがホームページのトップで紹介されました。
それで、NHKのハートをつなごうのディレクターさんと話をすることになりました。
それから、おととしの東京プライドフェスティバルでの公開収録の時(※1)に、そのメッセージが紹介されました。
それから2年半の話し合い、1年半の撮影という長い時間をかけて、今回の放送に至りました。
●おふたりがテレビのような公式な場でカミングアウトをするのは、今回が初めてだとか。
もちろんです。これまでもキャラバン(※2)やレインボートーク(※3)などの場では話してはきたけれど、
テレビという媒体を通じて、公にカミングアウトをするのはこれが初めて。
私たちは北陸の、きわめて古い家族の考え方が充満している地域で暮らしているので、
やはりカミングアウトは怖い面もあります。
けれど、35年レズビアンマザーとして5人の子供を育ててきた私たちに、大切なことでやり残したことが
これだと思い、大きな決意で番組に出ることを決めました。
●番組ではどんなことが放送されるのですか?
北陸で静かに暮らす私たちの日常が紹介されます。
それから子どもたちのこと。今回は子どもや孫も
顔を出して登場します。
「レズビアンカップルをどう意識しているか」や
それぞれの葛藤や喜怒哀楽について、
子どもたち自身の口から語られます。
そしてもう一つ。自閉症と診断され、2008年秋に「限りなく事故に近い自死で」亡くなった娘のえのこと、
その悲しみを家族でどう分かち合ってきたのかについても触れていきます。
レズビアンの「家族の物語」とでもいうべき内容になっています。
●おふたりについてもう少し聞かせてください。
私たちが出会ったのは1975年のこと。英子が出していた、結婚の中の叫びに近い思いをつづった
個人誌を通じて知り合いました。
それから紆余曲折を経て今の北陸に落ち着き、子供5人を育て、この地方から様々なことを発信してきました。
女五人のロックバンドのコンサート。母子家庭に出る児童扶養手当の改悪反対運動。
女の視点で強姦をえぐったカナダ映画『声なき叫び』の上映運動。農薬空中散布や原子力発電所の反対運動。
地域の噂が発端で、「非婚の母」になった幼稚園の先生の配置転換事件を巡る、報道と人権の問題が
深く関わった全国集会の開催。などなど、話せば果てしがないほどです。
そうそう、地球の反対側のペルーでの日本語学習支援活動、貧しい陶工たちの作品を日本に
紹介する活動も、最近までしてきました。
しかしながら、やり残した一つに、自分たちのことであるレズビアンマザーのことがあります。
私たちの35年間を、主に家族に焦点を当てて、1時間という短い時間で紹介するのは難しいことですが、
これをきっかけにレズビアンマザーというものが世の中に認知されていってほしいと思っています。
そして少しでも私たちのような存在が生きやすくなることを願っています。
まずは番組を見てみてください。そしてぜひ感想を聞かせてくださいね!
●ありがとうございました!番組、楽しみにしています!
(※1) 2009年5月23日に開催されたプライドフェスティバル(LGBTとその周辺の人たちの祭典)
会場でNHKハートをつなごうの公開収録が行われた。
その際、檀上で恵子さんの、レズビアンマザーとしてのメッセージが朗読され、感動的なフィナーレになった。
(※2) 陶芸家でもある英子さんが恵子さんと共に1981年以来開催している、作り手から使い手へじかに
おしゃべりしながらやきものを展示即売、手渡していく、様々なイベントも含む活動。
やきもの展が特別なものでないはずと、北は北海道から南は沖縄 まで20数年の間に、
全国600箇所近くの、女のスペース、喫茶店、個人宅、寺、自然食品店など、ありとあらゆる場所で
展開してきた「女の文化運動」。
(※3) 同性パートナーの法的保障を考える全国リレーシンポジウムと題し、2006年に全国で展開された。
大阪で開催された回には英子さんがゲストスピーカーとして登場、レズビアンマザーとしての
30年間について話した。
●お話を伺って
私がおふたりにはじめてお会いしたのは、大阪で開催されたレインボートークの時でした。
「レズビアンマザーが話すらしい」と聞いて、その日のうちに新幹線のチケットを取りにいった、
あのときの高揚感は今でも忘れられません。
当時私は身の回りにレズビアンマザーの知り合いがおらず、世の中でこんな家族が他にはいないような
気がしていたのです。
それだけに、英子さんが檀上でレズビアンマザーとして暮らしてきた30年について話し、最後にはお子さんと
お孫さんから、壇上の英子さんにも、会場にいた恵子さんにも、花束が贈呈されたときは、
涙が止まりませんでした。
そんなおふたりが、お子さんの死という大きな出来事を抱えながらも、今回、公の場に顔を出して
語ってくれるという出来事には胸が震えるものがありました。
おふたりの長い歴史を考えると、1時間という尺はあまりにも短くはありますが、その中では単に
レズビアンマザーとしての生き方だけでなく、発達障害のこと、ふたりならではの悼みの場所として
つくってきた「のえルーム」の試みなど自死遺族の側面も含みつつ、おふたりのことが語られるそうです。
還暦という年代のレズビアンの話を聞けるチャンスも、そうそうありません。
今回は、お子さんやお孫さんまでもが顔を出し、家族について語ってもくれるという、またとない内容に
なっています。
ぜひ番組を見て、感想をおふたりに送ってください。
そしてNHKの「ハートをつなごう」ホームページにも、メールを送りましょう。
封建的な地方で暮らす60前後の女性が、テレビで顔を出してカミングアウトをするというこの熱い思いを
受け止めたいと思います。